思い出のライダーズ・ハイ:移住ミュージアム(ブラジル)
2014-05-23T22:46:54+09:00
ninja9rs
今一度心に焼き付けて・・走ろうよ!!
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♪♪ 国立移民収容所
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2014-05-22T23:09:00+09:00
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ninja9rs
移住ミュージアム(ブラジル)
海外移住と文化の
交流センター
☆ 希望と未知への船出の広場 ☆
国の施策としてブラジルなどの中南米諸国へ25万人の移住者を送り出した
当施設は、海外移住者の出国手続きや健康診断を行うと共に
語学や移住先国に関しての講習を行った
(海外移住と文化の交流センターH.P 参照)
1928年設立の国立移民収容所は神戸移住教養所、外務省神戸移住斡旋所
神戸移住センターと時代の流れに応じて名称を変えていった
戦時中は軍の施設となったが、戦後は看護婦の養成機関として使用された
1995年、阪神・淡路大震災に見舞われたが、建物は健在だったので
一時神戸海洋気象台の仮庁舎として使われた
1999年にC.A.P.ハウスとして活用されたのを契機に、神戸移住資料室がもうけられ
関西ブラジル人コミュニティの活動拠点ともなった
(海外移住と文化の交流センターH.P 参照)
笠戸丸
ハワイやブラジルへ移民が開始された時に移民船として使われた
1908年 第1回ブラジル行移民781名を乗せた「笠戸丸」が神戸港を出港
『石狩挽歌』
なかにし礼作詞・浜圭介作曲
北原ミレイ唄、1975年
海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で ニシン曇りの
空を見る
1971年(昭和46年)に移住センターとしての役目を終え
その後は看護学校や震災時は神戸海洋気象台の
一部として使用された
国が率先しての移住施策、俺個人としては海外移住に興味はないが
国が背中を押したからなのだろうけれど勇気ある決断を下した
日本国民は25万人を下らない
基本的に日本国民は勤勉にして実直、夢と希望を託した決断なら
あながち間違いではなかったと信じています
BUT.. 俺は行けなかっただろうなぁ..
by シゲ
2014. 5. 22 (THU) sige
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