カテゴリ:移住ミュージアム(ブラジル)( 1 )

2014年 05月 22日
♪♪ 国立移民収容所



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国の施策としてブラジルなどの中南米諸国へ25万人の移住者を送り出した

当施設は、海外移住者の出国手続きや健康診断を行うと共に

語学や移住先国に関しての講習を行った


(海外移住と文化の交流センターH.P 参照)

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1928年設立の国立移民収容所は神戸移住教養所、外務省神戸移住斡旋所

神戸移住センターと時代の流れに応じて名称を変えていった

戦時中は軍の施設となったが、戦後は看護婦の養成機関として使用された

1995年、阪神・淡路大震災に見舞われたが、建物は健在だったので

一時神戸海洋気象台の仮庁舎として使われた

1999年にC.A.P.ハウスとして活用されたのを契機に、神戸移住資料室がもうけられ

関西ブラジル人コミュニティの活動拠点ともなった


(海外移住と文化の交流センターH.P 参照)

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ハワイやブラジルへ移民が開始された時に移民船として使われた

1908年 第1回ブラジル行移民781名を乗せた「笠戸丸」が神戸港を出港

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『石狩挽歌』
なかにし礼作詞・浜圭介作曲
北原ミレイ唄、1975年

海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く

あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸

わたしゃ涙で ニシン曇りの 
空を見る

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1971年(昭和46年)に移住センターとしての役目を終え

その後は看護学校や震災時は神戸海洋気象台の

一部として使用された


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国が率先しての移住施策、俺個人としては海外移住に興味はないが

国が背中を押したからなのだろうけれど勇気ある決断を下した

日本国民は25万人を下らない

基本的に日本国民は勤勉にして実直、夢と希望を託した決断なら

あながち間違いではなかったと信じています

BUT.. 俺は行けなかっただろうなぁ.. 

by   シゲ



2014. 5. 22 (THU) 058.gif sige


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by ninja9rs | 2014-05-22 23:09 | 移住ミュージアム(ブラジル) | Comments(0)