男たちの大和召集後まもない
10代半ば~
20代の若者達
3000余名を乗せ
昭和
20年
4月
6日の運命の日を迎える
アメリカ 軍艦載機延べ
300機の激しい爆撃と、魚雷攻撃を受け、午後
2時
23分、轟沈
生存者はわずか
270余名だった
俗に言う、『沖縄水上特攻』である
映画はほとんど見ないのだが、この映画にしても・・・然りであった
特に戦争物は、ある種意識を植え付けられていくようで怖い部分がある為
と言うのが理由である
映画を見るくらいなら・・・現地に行く、行って見る
そして・・考えたい
だからと言って、戦争をした事をとやかく言っているわけではない
個人、個人に過ちがあるように・・・犯してはならないのだけれど、国だって間違いを犯す
ただ・・・国が間違いを起こせば、きっと誰にも止められないだろう事は明白
なんでも、退け時、潮時ってものがあった筈
へたに愛国心を煽り、長引かせれば長引かすほど、犠牲者は増え、国土は憔悴する
以前、鹿児島の知覧(特攻記念会館)に行き特攻隊の隊員達の生と死の境をまざまざと見てきた
?(遺書、寄せ書き、etc記念館にて)事もあってか、共感する部分は多分にあるのは事実なのだが
「特攻作戦」自体が必要であったのか、それとも無かったか
?必要とみなすところに、そもそも狂気
?美談
?を垣間見る事ができる
大戦末期、制空権はほぼ
100%アメリカに支配されている状況下で『戦艦大和』を出撃させる
意図は何だったのだろうか
?知覧では~特攻機~空VS空(性能は天と地程の差があるが・・・)
ある意味、人VS人・・・空は広い・・・不時着だって有り得る
まだ・・・同じ土俵内ではある
しかし、大和の場合は違う
後方に控えた敵航空母艦から放たれた・・空をも覆わんばかりの敵艦載機
今更、戦艦を出撃させてどうする
?護衛機無しの戦艦は、サンドバッグと同じかそれ以下
袋叩きにあうは必定、誰がどう考えたって無理がある
不時着なんて在り得ない!!海の藻屑となるしか選択肢は無い
出撃を命じたことこそが、最大の狂気なのではなかっただろうか
?映画は見てはいない(見る事は無いと思う・・・)が、大和を操舵していた乗組員も犠牲者なら
当の大和も犠牲艦なのかもしれない
せめて、できるならば(当然できはしないが・・・)リモート操作で無人航行だったなら
3000人弱の尊い命が犠牲とならず、救われていたのかと思うとやるせない気持ちで胸がつかえる
映画は見ない