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2006年 03月 27日
♪♪ にじむ街の灯を
男たちの大和

召集後まもない10代半ば~20代の若者達3000余名を乗せ
昭和2046日の運命の日を迎える
アメリカ 軍艦載機延べ300機の激しい爆撃と、魚雷攻撃を受け、午後223分、轟沈
生存者はわずか270余名だった

俗に言う、『沖縄水上特攻』である
映画はほとんど見ないのだが、この映画にしても・・・然りであった
特に戦争物は、ある種意識を植え付けられていくようで怖い部分がある為
と言うのが理由である
映画を見るくらいなら・・・現地に行く、行って見る
そして・・考えたい
だからと言って、戦争をした事をとやかく言っているわけではない
個人、個人に過ちがあるように・・・犯してはならないのだけれど、国だって間違いを犯す
ただ・・・国が間違いを起こせば、きっと誰にも止められないだろう事は明白

なんでも、退け時、潮時ってものがあった筈
へたに愛国心を煽り、長引かせれば長引かすほど、犠牲者は増え、国土は憔悴する

以前、鹿児島の知覧(特攻記念会館)に行き特攻隊の隊員達の生と死の境をまざまざと見てきた
(遺書、寄せ書き、etc記念館にて)事もあってか、共感する部分は多分にあるのは事実なのだが

「特攻作戦」自体が必要であったのか、それとも無かったか
必要とみなすところに、そもそも狂気
美談を垣間見る事ができる

大戦末期、制空権はほぼ100%アメリカに支配されている状況下で『戦艦大和』を出撃させる
意図は何だったのだろうか
知覧では~特攻機~空VS空(性能は天と地程の差があるが・・・)
ある意味、人VS人・・・空は広い・・・不時着だって有り得る
まだ・・・同じ土俵内ではある

しかし、大和の場合は違う
後方に控えた敵航空母艦から放たれた・・空をも覆わんばかりの敵艦載機
今更、戦艦を出撃させてどうする
護衛機無しの戦艦は、サンドバッグと同じかそれ以下
袋叩きにあうは必定、誰がどう考えたって無理がある
不時着なんて在り得ない!!海の藻屑となるしか選択肢は無い
出撃を命じたことこそが、最大の狂気なのではなかっただろうか

映画は見てはいない(見る事は無いと思う・・・)が、大和を操舵していた乗組員も犠牲者なら
当の大和も犠牲艦なのかもしれない

せめて、できるならば(当然できはしないが・・・)リモート操作で無人航行だったなら
3000人弱の尊い命が犠牲とならず、救われていたのかと思うとやるせない気持ちで胸がつかえる

映画は見ない

by ninja9rs | 2006-03-27 10:13 | シネマ's profil | Comments(2)
Commented by ホヨヨ~ンママ at 2006-03-28 13:40 x
んで、現地に行ったん?
戦争物の映画はきらいや。
和洋関係なくきらいや。
でも、現実の事はしっかり頭の中に入れて把握して
過去の過ちを正せなあかん。
戦争はなんのメリットもない。
強欲の世界やと思う。

シゲちゃん今日のホヨは哲学的なホヨやろ?
ムフフフ。。。。
Commented by シゲ at 2006-03-29 10:03 x
>んで、現地に行ったん?
う~ん、行けてない(笑)。
ホヨは元気やから、颯爽と何処でも行ってしまうけど・・・
なかなか、気持ちと身体がリンクしないねん・・俺。
3月19日に和歌山・田殿(BAB&Rico家)に行ったくらいかな・・・!!

この大和の件に関して言えば(なんか不動産物件みたいやな~)、
気が進まないので行かない方向で考えています。
出撃の事実は消えないにしても、納得がいかない・・・。
潔く敗北を認めて終わっていりゃぁ~、大和の出撃もなかったろう。
知覧の特攻隊もそうやけど、大和に比べたら比ではない。
送り出す土俵が違いすぎる。
けた外れや・・!!

ホヨ、エエ事言うやん・・
そう俺も思うで・・強欲の世界・・って。
今も同じかも知れんけど、誰かが得をしていたんやろうなぁ・・・。
結局のところ、もろくも崩れてもとの木阿弥・・・泡のように消滅してしまったってのが本当のところか?

哲学者 ホヨ もええ感じやから、これからも時々頼みますね(爆。。


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